切れ痔&口内炎なのに蒙古タンメン中本行った結果www

 

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つらい切れ痔。デスクワークで座っていることの多い、働く女性に多いと言われています。 

そんな切れ痔の時ほど、蒙古タンメン中本の激辛蒙古タンメンが食べたくなるもの。

そして口内炎の時はさらにその傾向が強くなるようです。

 

今回は、切れ痔と口内炎を同時に患った状態で激辛蒙古タンメンを食べたらどうなるのか、まとめていきます。

 

蒙古タンメン中本とは?

 

板橋区に本店を構える、辛うまラーメンの店。

辛くないラーメンもあるけど基本辛い。

 

食べてみた

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食べたのはこれ[冷やし五目味噌タンメン]

 

 

f:id:blogmiso:20180717223818j:plain「いやビジュアルの時点でケツが痛いんだわ。」

 

 

~いざ実食~

 

f:id:blogmiso:20180717223818j:plain「痛い…!いでででで口内炎痛い!うまい!辛!ゴホッ…ゴホ…うまい!」

 

うまい・からい・痛いという3つのあれが来た。忙しいよ。

案の定 口内炎が爆発しました。

 

私は「辛い(からい)」「辛い(つらい)」を連呼しながら鼻水や汗を垂らしまくることしかできなかった。

たまに痰が絡んだような病弱な咳も出たが何とか完食。

つけ麺で、麺が冷たくてもこの辛さ。

 

f:id:blogmiso:20180717223818j:plain「ふう~~~辛え!もう二度と来ねえからな!」*1

 

 

出された時点でのケツの痛み、そして口内炎の爆発を乗り越えました。

第一ステージ クリア!

 

6 hours later....

夕食にタンメンを食してから6時間後。

眠りに就こうとベッドに入ると、突然よじれるような腹痛に襲われた。

 

f:id:blogmiso:20180717223818j:plain 「「「「あばばばばばば」」」」」

 

来たんだ!タンメンが降りてきたのだ!!!!!!

辛さの刺激に耐えられない私の弱い腸が悲鳴を上げていた。

しかもブツが通る時がとにかく痛い!

 

何してても痛い!ああああああああ!

 

 

 

完全に憔悴しきっていたが、なんやかんやで腹痛は解消された。

しかし次は肝心のケツの痛みだ。

 

f:id:blogmiso:20180717223818j:plain 痛ぇ!ケツが痛ぇしアツイよおwwwwww

 

ケツが熱いんです。トイレから出て何十分も経ってるのにケツが熱い!

そこだけ温度が+20度くらいになってました。

 

まとめ

① 口内炎は一時的に爆発するだけ。

② 一般人は腹痛になる可能性あり。

③ 切れ痔の人は②に加え、ブツが通る時の痛みと長引く穴(ケツ)の熱さに悶える。

悪化の危険性あり。

④ でもうまい。

 

いかがでしたか?

切れ痔を治してから蒙古タンメン中本を楽しんだ方がよさそうですね。

 

 

*1:「また来る」の意

岡崎体育氏の握手会が教えてくれたこと

 

どうも。みそです。

 

数か月前の話ですが、

岡崎体育氏の握手会に行って考え方が150度くらい変わった話をします。

 

岡崎 体育 氏とは

京都府 宇治市出身のシンガーソングライター。

ミュージックビデオあるあるを歌った『MUSIC VIDEO』は言わずと知れたヒット曲。

 

 

「どっかでフザケて来る」と思わせといて泣かす曲を書かれたりと、

そのふり幅に感動を隠せない。あとトークが超面白い。

 

25年ライブや握手会の類に一度も参加してこなかった

私は好きなアーティストのライブや握手会の類に一度も参加してきませんでした。

なぜかというと、めんどくさかったから。

 

「チケット取れなさそう」とかいう謎の先入観があり、

それ以上深く追求してこなかったんです。

 

それに「私みたいなライトなファンが行ったらガチ勢の人に圧倒されてしまいそう」

とかいうよくわからない不安に駆られていました。

 

ライブを何だと思ってんだww

 

そもそも劣等感があった

「ずーーーーっと発信側になりたいのに、何もうまく行かず、

誰にも影響を与えられていない自分」だった私は、

 

堂々と夢を叶えた発信者に生で触れたりしたらきっと、とても悔しく、

惨めな思いをするんだろうと思ってた。

 

めんどくさいの裏には、こんな深層心理があったんだと思う。

 

いや卑屈か!!!!!!

 

大型ショッピングモールのCD発売イベントに参加してみた

CD発売に伴い、たまたま某大型ショッピングモールで

ミニライブ握手会イベントが開催されることを聞きつけて参加してみました。

 

このようなイベントだったらライブ恐怖症の自分にも手が届きやすく、有難かった。

 

結果、目の前にいる好きなアーティストと、自分と同じくそのアーティストが好きな人達が曲で一体となることの素晴らしさを体感した。

 

ライブって…いいな…

 

惨めになるどころか、元気になった。

 

何かを・誰かを好きでいるって大事なんだ

自分の考えを表して生きたいと思っているのに、何も成し遂げられないまま

誰かの作品を好きだと言っているだけの自分が嫌いだった。

 

でも、きっと彼をアーティストたらしめているものの一つは

絶対にファンの存在のはずなんだ。

 

「ファンの皆様のおかげです」って色んな表現者が言っているように、

ファンという存在はその人の活動にとって無くてはならない存在なんだろう。

 

何となくライブに行かなければ分からなかった。

ただただ誰かのファンでいることは、きっと重要なことなんだ、と。

 

身近な人にだって、ストレートに好意を表そうと思った

握手会で、「『鴨川等間隔』のイントロが特に好きです」と言った。

はがしも早かったので、あとは「体育さんの曲が好きです、応援してます」とだけ。

 

別に大したこととか言えなくてよかったんだ。

ただ、応援してることを伝えたかった。

 

体育氏は、「ああ~~!イントロあれ、ええよな!ありがとうな、ありがとう」と言ってくれた。

 

10秒もないやり取りだったけど、「好意を伝えるってなんかイイ」と思った。

 

 

店員さんにだって、友達にだって、親や家族にだって、

ファンとまではいかなくても、ストレートに好意を表せたら、

少しだけ幸せの種をまけるんじゃないだろうか。

 

店員さんに「餃子が特においしかったです」

 

とか

 

友達に「なんか今日可愛いね」

 

とか

 

媚びるとは違う。本当に思ったら、言っていいんだ。

勿論タイミングとか、距離感とか、程度とか、難しいこともあるけど。

男女でも意味合い変わってくるしさ。

 

それから、自分にだって。

「自分のこういうところが好きだ」って、自分にそれを言っちゃいけない決まりなんてないんだ。

 

「好き」っていうエネルギーを爽やかに使おうと意識すれば、

誰かのことを少しは元気にできるし、それで自分のことも元気にできるんだって思った。

 

 

読書ができないのは「他人の読書観」が住み着いているから

 

どうも。みそです。

 

私は今まで、本を買っては読まずに売るという行為を繰り返してきました。

 

知的好奇心が確かにそこにあるのを自覚していますし、

読書が好きなはずなのに、なぜ本が読めないのかと自己嫌悪に陥るばかり。

 

でも最近、そんな状況を卒業することに成功しました。

読書ができなくて自己嫌悪に陥らない&なんとなく読書できた気分になる個人的なコツを3つまとめます。

 

①読めそうな本を読む

これ、大事です。

 

知的好奇心が高まった時って、

「ちょっと難しいの読んでみようかな」とか「いつも読まないの読んでみようかな」とか思うんですけど、

意外にそういうときに買った本の内容って入ってこない。

 

これは何も難しい本だけではなくて、内容が入ってこないとか、飽きるってことは、

単純に感動してないってことだと思います。

 

「やっぱり自分、難しい本読めないわ」ってことじゃなくて、

「今の自分に合わない」ってだけだと思うんです。

 

だから同じ分野の別の本を選ぶ。それでいいと思います。

大人だからと言って絵本とかティーン向けの伝記を読んじゃいけない決まりもないです。

色んな人に向けられた本があるから、「分かりやすさ第一」で攻めていく。

 

そこで1こでも何かが分かったら、それが次の知的好奇心に繋がっていくんだと思います。それがたとえ当初の知的好奇心と違ってても、1ミリでも「へえ~~」と思えたら、しめたものじゃないでしょうか。

 

読書は義務じゃないから、苦しさとかストイックさは不要な気がします。

ハーバード大学の授業の本が読みたい人はそれを読んで何かを感じるんだろうし、

詩集を読んだ人はそれで何かを感じるんだろうし、

大事なのは、「1mmでも本人の世界が広がったかどうか」

 

 

② ネットで買わず、図書館で「テイスティング」

 

私、ネットで買った本はほとんど売り払ってますww

いくらレビューが良くても、

それが自分にとって良いかは分からないということがよくわかりました。

 

紙の色味、文字の感じ、印刷の感じ、文字の大きさ、におい、筆者の口調、

他にももっと沢山の要素が本を構成してると思うんですが、

「フォントが嫌」とかで頭に入らなくなることありませんかね。私だけかな。

 

脳に直接語り掛けてくる本だから、内容は勿論、気に入らない要素があると受け付けなくなることがあります。一見、興味のある分野の本でも、そんなだからネットで買って失敗することもあるのです。参考書とかだと尚更じゃないかな。

(電子書籍で途中まで読めるものとかもありますが)

 

私が普段、面白い本や自分に合う本に出合いたいときにやっている方法なのですが…

 

・図書館で、直感に従い面白そうと思う本を手に取る。

・どこでもいいから一行でも二行でも読む。

面白ければ読めるとこまでよむ。(飽きたり疲れたらやめていい)

面白くなければ戻す。(合わないだけで、理解できないからバカとかじゃない)

 

この繰り返しです。

この時、別に「全部読もう」とか思わなくていいと思います。

大切なのは一行でも読んだという事実の積み重ねです。

はっきりと内容を覚えていなくても、薄くスライスされた知識を積み重ねることで、

そのうち考え方に厚みが生まれます。

 

「あの時読んだあれは、この本に書かれてるこれとつながるんだ!」

「さっき経験したあれは、いつか読んだ名前も覚えてない本のあの部分だ!」

 

という感覚です。

この知識の繋がりを自覚したときは個人的にとても嬉しく、人間でよかったと思います。

 

勿論、全部スルスルっと読めてしまったら、それは良かった!!

 

本ってなんとなく、「全部読まなきゃいけない」って感じになりませんか?

買ってしまったら尚更。

 

私は、「読めるとこまで読めばいんじゃね」って思います。

だって誰かに監視されてるわけじゃないし。

 

そこで読書のハードルを大きく下げるのが図書館です。

金銭的問題がほぼ0ですから。

 

③ 一つの読書観を鵜呑みにしない

「本は最後まで読むものだ」

「本は沢山読んだほうが偉い」

「難しい本を読んだ方が偉い」

「内容を覚えてないから本読んだ意味ないやww」

「読書記録を付けたほうがいい」

「●●ならこのくらい読んでおいた方がいい」

「何にでも興味を持っていかないといけない、どんな本も読めないといけない」

 

色んな読書観があると思いますが、「読書が思うようにできない」というときは、

自分の中に「実は合わない読書観」が住み着いている可能性があります。

 

それは、自覚しないままスっと心に入ってしまったものなのか、

誰かに刷り込まれたものなのか分かりませんが…

 

この、「実は合わない読書観」を元に本を読むと、

読めなかったり理解できなかったときにちょっとした自己嫌悪が起こります。

私は、何に自己嫌悪したのかを掘り下げることで、自分が何を基準に本を読んでいたのか分かりました。

 

私は最初にあげた7つの読書観を持っていました。

掘り下げたら、その原因は昔先生に言われた言葉だったり、誰かが発したネガティブな言葉だったり、といったことが分かってきました。

 

でも、本が読みたいのが本音なのだから、私は上の7つの言葉に反抗するように、

 

「本は最後まで読むものだ」→最後まで読めたら読めたでいいけど別に読まなくてもいい。

 

「本は沢山読んだほうが偉い」→沢山読めたら読めたでいいけど、好きな本を繰り返し読む方が好きかもしれない。

 

「難しい本を読んだ方が偉い」→難しい本には難しい本の良さが、優しい本には優しい本の良さがある。

 

「内容を覚えてないから本読んだ意味ない」→ホヤーーっと覚えた一単語でも愛せばいい。一単語も覚えられなかったらそれは今の自分に必要なかっただけで、いつか必要になった時に取り入れればいい。

 

 

「読書記録を付けたほうがいい」→やれる人はやればいい。

 

「●●ならこのくらい読んでおいた方がいい」→読みたくなければよまなきゃいい。

 

「何にでも興味を持っていかないといけない、どんな本も読めないといけない」

 →そりゃ興味が広いのは素敵なことだけど、流石に無理がある。読みたいように読めばいい。

 

と反抗を重ねた結果、自分のしたい読書ができるようになりました。

 

それぞれの方法で、自分を縛る「実は合わない読書観」を追い出していくことが大事だと思います。

 

ちなみに私のしたい読書は、

30パーセントくらいの理解力で一冊読み切ることです。

そしてその30パーセントの中にある大切な言葉は逃したくなければノートに書く。

 

 

自分の本当の読書観に従い、楽しく頭の中の海を広げていきたいですね。

 

 

磨け発信力!ぶろぐみそ再生計画始動!

 

どうも、みそです。

 

2016年12月1日に開設したこのブログ。

長らく放置していましたが、この度再生化計画を始動します。

 

 

再生化計画を始動する理由

発信していくことを自分に許したから

 

ブログを始めた当時、実は発信することを自分に許していませんでした。

 

「…え?」って感じですが、心の奥底では発信することに抵抗がありました。

 

あらゆる発信者たちが「自分はこんな人間だ!こう考えてるんだ!」と、

堂々と言っているのを見て、私も憧れて始めたのですが、

そこには払拭できない不安や卑屈な心、自信のなさが溢れていました。

 

全てはこのアイコンに表れています。

 

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顔出しする勇気もなければ、誰かにとって気持よく印象に残るものを作る気力もありませんでした。

発信することを自分に許していない心が表れていました。

 

「美しい画像を用意したいけれど、

カメラとかフォトショとかよくわかんないし。」とね。

 

「才能」、「やりたいこと」、「自分メディア」…

新しい時代の流れに気が付いていたけれど、その波にストレートに乗れるほど、

私は強くありませんでした。

 

しかし、あれから少し時間が経ち、人生について考えを深める中で、

 

「どこにいても何をしても誰といても、今よりお金があったとしても、

私は発信することをセットにしなければやっぱり豊かに生きられないだろう。」

ということに気が付きました。

 

そこで何となくグーグルアドセンスの管理画面に久しぶりにログインしてみたら、

思っていたより収益が発生していることが判明。

そしてアクセス数も自分が思っている以上にあったんです。

 

「急がず焦らず、もっと長期的な目線で愛情注げばよかった」

と悔しくなりました。

 

更なる収益化や影響力に関することは後から目標に組み込んでいくとして、

まずは「発信し続けること」から始めます。 

 

これからの計画

 

とにかく整備しまくりたいです。

 

・ブログデザインを今様にする

・自分のアイコン化を進める、どんな人物が書いているかを明らかにする

・記事の充実

・過去記事の大規模編集

・考えていることだけではなく、実際に何かしらの行動をした結果をレポート

・イラスト、動画等のコンテンツの併用

・人と会っていく

 

などなど、すでに勉強するのが楽しい。

 

完璧主義を排除して

少しずつ改良していきますので、よろしくお願いします!

 

 

自分の基準は自分。人の言葉をすぐ心に入れるな。

 

みなさん、人の言葉ってどのくらい受け止めてます?

 

私は人の言葉を受け入れる窓が開きすぎていて、人の言葉をすべて真に受けてしまう人間でした。とくにキツい言葉はすべてダイレクトに受け入れて、はたから見たら大したことないものでもすごく傷ついていました。

 

「ダメだな」

「頭わるいね」

「できてない」

「センスがない」

 

こんな言葉です。

そしていつからか、他人から言われた言葉が自分の言葉になっていき、自分で自分の可能性をぶっ潰していたことに気が付きました。

 

クヤスィ~~~~(^-^)(^-^)(^-^) 

 

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サービスを受けるだけっていう姿勢は金の無駄だという話

 

みなさんは、日常生活の中で様々なサービスを受けていると思います。

私も受けてます。

 

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美容室、写真館、学習塾、ピアノ教室.......

 

これらの「何かをしてくれる」っていうところを利用するとき、

「してもらう」っていう意識だけじゃサービスを利用しきれないし、逆にお金の無駄だなあと思いました。

 

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