読書ができないのは「他人の読書観」が住み着いているから

 

どうも。みそです。

 

私は今まで、本を買っては読まずに売るという行為を繰り返してきました。

 

知的好奇心が確かにそこにあるのを自覚していますし、

読書が好きなはずなのに、なぜ本が読めないのかと自己嫌悪に陥るばかり。

 

でも最近、そんな状況を卒業することに成功しました。

読書ができなくて自己嫌悪に陥らない&なんとなく読書できた気分になる個人的なコツを3つまとめます。

 

①読めそうな本を読む

これ、大事です。

 

知的好奇心が高まった時って、

「ちょっと難しいの読んでみようかな」とか「いつも読まないの読んでみようかな」とか思うんですけど、

意外にそういうときに買った本の内容って入ってこない。

 

これは何も難しい本だけではなくて、内容が入ってこないとか、飽きるってことは、

単純に感動してないってことだと思います。

 

「やっぱり自分、難しい本読めないわ」ってことじゃなくて、

「今の自分に合わない」ってだけだと思うんです。

 

だから同じ分野の別の本を選ぶ。それでいいと思います。

大人だからと言って絵本とかティーン向けの伝記を読んじゃいけない決まりもないです。

色んな人に向けられた本があるから、「分かりやすさ第一」で攻めていく。

 

そこで1こでも何かが分かったら、それが次の知的好奇心に繋がっていくんだと思います。それがたとえ当初の知的好奇心と違ってても、1ミリでも「へえ~~」と思えたら、しめたものじゃないでしょうか。

 

読書は義務じゃないから、苦しさとかストイックさは不要な気がします。

ハーバード大学の授業の本が読みたい人はそれを読んで何かを感じるんだろうし、

詩集を読んだ人はそれで何かを感じるんだろうし、

大事なのは、「1mmでも本人の世界が広がったかどうか」

 

 

② ネットで買わず、図書館で「テイスティング」

 

私、ネットで買った本はほとんど売り払ってますww

いくらレビューが良くても、

それが自分にとって良いかは分からないということがよくわかりました。

 

紙の色味、文字の感じ、印刷の感じ、文字の大きさ、におい、筆者の口調、

他にももっと沢山の要素が本を構成してると思うんですが、

「フォントが嫌」とかで頭に入らなくなることありませんかね。私だけかな。

 

脳に直接語り掛けてくる本だから、内容は勿論、気に入らない要素があると受け付けなくなることがあります。一見、興味のある分野の本でも、そんなだからネットで買って失敗することもあるのです。参考書とかだと尚更じゃないかな。

(電子書籍で途中まで読めるものとかもありますが)

 

私が普段、面白い本や自分に合う本に出合いたいときにやっている方法なのですが…

 

・図書館で、直感に従い面白そうと思う本を手に取る。

・どこでもいいから一行でも二行でも読む。

面白ければ読めるとこまでよむ。(飽きたり疲れたらやめていい)

面白くなければ戻す。(合わないだけで、理解できないからバカとかじゃない)

 

この繰り返しです。

この時、別に「全部読もう」とか思わなくていいと思います。

大切なのは一行でも読んだという事実の積み重ねです。

はっきりと内容を覚えていなくても、薄くスライスされた知識を積み重ねることで、

そのうち考え方に厚みが生まれます。

 

「あの時読んだあれは、この本に書かれてるこれとつながるんだ!」

「さっき経験したあれは、いつか読んだ名前も覚えてない本のあの部分だ!」

 

という感覚です。

この知識の繋がりを自覚したときは個人的にとても嬉しく、人間でよかったと思います。

 

勿論、全部スルスルっと読めてしまったら、それは良かった!!

 

本ってなんとなく、「全部読まなきゃいけない」って感じになりませんか?

買ってしまったら尚更。

 

私は、「読めるとこまで読めばいんじゃね」って思います。

だって誰かに監視されてるわけじゃないし。

 

そこで読書のハードルを大きく下げるのが図書館です。

金銭的問題がほぼ0ですから。

 

③ 一つの読書観を鵜呑みにしない

「本は最後まで読むものだ」

「本は沢山読んだほうが偉い」

「難しい本を読んだ方が偉い」

「内容を覚えてないから本読んだ意味ないやww」

「読書記録を付けたほうがいい」

「●●ならこのくらい読んでおいた方がいい」

「何にでも興味を持っていかないといけない、どんな本も読めないといけない」

 

色んな読書観があると思いますが、「読書が思うようにできない」というときは、

自分の中に「実は合わない読書観」が住み着いている可能性があります。

 

それは、自覚しないままスっと心に入ってしまったものなのか、

誰かに刷り込まれたものなのか分かりませんが…

 

この、「実は合わない読書観」を元に本を読むと、

読めなかったり理解できなかったときにちょっとした自己嫌悪が起こります。

私は、何に自己嫌悪したのかを掘り下げることで、自分が何を基準に本を読んでいたのか分かりました。

 

私は最初にあげた7つの読書観を持っていました。

掘り下げたら、その原因は昔先生に言われた言葉だったり、誰かが発したネガティブな言葉だったり、といったことが分かってきました。

 

でも、本が読みたいのが本音なのだから、私は上の7つの言葉に反抗するように、

 

「本は最後まで読むものだ」→最後まで読めたら読めたでいいけど別に読まなくてもいい。

 

「本は沢山読んだほうが偉い」→沢山読めたら読めたでいいけど、好きな本を繰り返し読む方が好きかもしれない。

 

「難しい本を読んだ方が偉い」→難しい本には難しい本の良さが、優しい本には優しい本の良さがある。

 

「内容を覚えてないから本読んだ意味ない」→ホヤーーっと覚えた一単語でも愛せばいい。一単語も覚えられなかったらそれは今の自分に必要なかっただけで、いつか必要になった時に取り入れればいい。

 

 

「読書記録を付けたほうがいい」→やれる人はやればいい。

 

「●●ならこのくらい読んでおいた方がいい」→読みたくなければよまなきゃいい。

 

「何にでも興味を持っていかないといけない、どんな本も読めないといけない」

 →そりゃ興味が広いのは素敵なことだけど、流石に無理がある。読みたいように読めばいい。

 

と反抗を重ねた結果、自分のしたい読書ができるようになりました。

 

それぞれの方法で、自分を縛る「実は合わない読書観」を追い出していくことが大事だと思います。

 

ちなみに私のしたい読書は、

30パーセントくらいの理解力で一冊読み切ることです。

そしてその30パーセントの中にある大切な言葉は逃したくなければノートに書く。

 

 

自分の本当の読書観に従い、楽しく頭の中の海を広げていきたいですね。